天風会では、人生の色々な出来事に対して対応力を養い、心身共に健康になるお手伝いをします。

天風会認定 北陸の会

H.M.さん(石川県、男性)

クンバハカで鬱から立ち直り (H28年7月)
3月末でおよそ34年半勤めた会社を定年退職しました。4月に入り最初の内は長年の仕事から解放されたすがすがしさと、退職後の諸々の役所手続きや、計画していた海外旅行の準備等で忙しいながらも楽しい日々でした。
ところが旅行から帰り暫くすると毎朝憂鬱な気分になって来ました。今まで通り同じ時間に起床し、天風会の朝礼もやり、ただ違うのは会社に行かないだけです。自分ではわからない気分で、不安感・孤独感・無力感、何とも整理のつかない原因不明の鬱状態です。部屋の窓が閉まっているだけで息苦しい気分になり、窓を開けてみたり、外へ散歩に出てみてもあまり気は晴れません。こんな消極的な気持ちではいけないと自分に言い聞かせてもダメでした。
そんな時ふとクンバハカを思い出してやってみた所、少し気持ちが落ち着くのを感じました。そこでそれからは、もやもやした気分が出て来る度に頻繁にクンバハカを行なった所、徐々にそういう気分の出て来る回数が減り、しまいにはほとんど出なくなりました。そして数日後には何か気持ちにやる気のような物が湧いて来ました。
実はまだ20代の頃、今回よりもっとひどい鬱状態を経験した事があります。当時転職したために、再就職するまで一年弱のブランクがありました。後半はアルバイトをしたため気が紛れましたが、最初の半年は一人住まいのアパートで引きこもりの日々を送っていました。当時も今回と同じような鬱な気分になり、天風先生のことはまだ知らなかったので、なす術もなく段々と悪化して食欲不振や不眠症状も出て(不眠は鬱状態から逃げたいがための寝過ぎも原因かも知れませんが)しまいには躁鬱病のような状態になってしまいました。その後、たまたま風邪を引いて行った病院が内科だけでなく心療内科もやっていたために、私の暗い表情を見て抗鬱剤らしき薬を処方されたようです。薬により幾分気分は楽になりました。しかし、その後が大変でした。再就職が決まりその関係で会社の寮に入居したため、これまで通っていた病院に行くのが不便になった事や、自分自身、薬に頼っている事がいやになった事もあり、勝手に薬をやめてしまいました。すると、2、3日後に薬の禁断症状とでもいいますか、極端な気分の落ち込みを感じ、ひどい無気力状態に襲われました。結局別の病院で事情を話して薬の特性や、急に薬を止めてはいけない事などを教えてもらい、やがて完全に薬と縁が切れるようになるまでには随分時間がかかりました。
今回も、もし鬱な気分をそのまま放って置いたらまた悪くなってしまったかも知れません。 クンバハカの力に感謝しています。また、天風会に入会する前からクンバハカの事は「成功の実現」等の本を読んで知ってはいましたが、行修会への参加や、毎朝のDVDを見ながらの朝礼を実践していなかったら、恐らくクンバハカをやって見ようという思いには至らなかったと思います。書物だけの知識ではなく、不完全とは思いますが、毎日クンバハカをやっていた事が困った時に役立ったという点で、日々の実践にも感謝です。
今でもたまにはもやもやした気分が出てくる事はありますが、すぐクンバハカをやって鬱な気分になるのを防いでいます。クンバハカの力に感謝すると共に、天風先生のことを知らない人々にも、悲しみや不安・怒りというような精神を不安定にさせる事態が起きた時はクンバハカが身を守るという事を教えてあげたいと思いました。

Y.I.さん(富山県、女性)

セット行修会に参加して (H25年7月)
五月から三ヶ月にわたり福井にて、御橋先生による行修会が行われました。
御橋先生は、天風先生から直接教えを受けた直弟子です。その穏やかな風貌は、どことなく暖かいのですが、一端熱くなると、眼光まで鋭くなるような変貌振りで、天風教義を熱く語ってくださるので、とても楽しみでした。
以下私が、講義で認識したところをあげてみます。
先ず誓いの言葉は、自分に言い聞かせる、セルフコントロールするということ。私は、誰かに向けて誓っているイメージでしたが、自らに誓おうと決めました。
次に、心の使い方では、休めることの必要性です。積極でいくと、ともすれば心を休めることの重要性を忘れがちになります。プラナヤマやクンバハカなどが心の休め方としてよいとのこと。先日、心身ともに限界で、寝込んでしまったのですが、もっと上手に取り入れて、心も体も早めに休めていたら良かったと思いました。
それから、クンバハカは、腹に丸い空気の入った風船をイメージし、肩の力を抜いたら下に圧力がかかる。腹は内から外へ圧をかけ、肛門は下から上に圧をかけると、ホワイトボードに図を描いて説明頂いたことが、私には非常にわかりやすい解説でした。
今回のセット行修会では、御橋先生自ら、呼吸操練の指導までしてくださる機会がありました。息吹や、膝曲げ指導は、私の潜在意識に入りました。絶対に! 様々な先生が自らの学びや体験をもとに、講義をして下さいます。活字で目にした教えが今一つ心に定着しない私には、実際に講義を受けたものは、得がたい財産となっています。
今回私たち夫婦は、富山から福井に宿泊を予約してじっくり講義を聴きました。本当は、夜の懇親会が目当てだったりするのですが・・・このように、少人数で講義を受けられたり、懇親会にまで参加できるのは、むしろ地方なればこそではないかと、有難く感謝で一杯です。これからも貪欲にチャンスを逃さず、参加したいと思います。何かをしたい者は手段を見つけ、したくない者は、言い訳を見つけるのです!

K.Y.さん(福井県、女性)

私と行修 (H23年4月)
明るく朗らかに大きい声で「甦りの誦句」吾は今 力と勇気と信念とをもって甦り・・・。私の一日が始まります。 目覚めてすぐは一病息災、いや、二病息災の状態ですが、誦句を幾つか唱え、呼吸操練、統一式運動法、 積極体操と終えて、アサナ法をやり、そして安定打坐を始める頃には心身共にスカッとした爽快感と充実感に 満ち溢れています。そうです。この行修を真剣に取り組み始めて五年経った今の私です。 真剣にやり始めたきっかけは、病の息子に活力移送法をする為でした。その頃はただ、順番を追うだけの体操で精一杯。 又、時々重荷に感じたことも正直ありました。でも一年二年ととにかく続ける内に動作の一つ一つの意味を確かめつつ、 味わいながら、出来る様になりました。すると不思議なもので、心の方が積極になってくると、体の方も今日もやろうと 元気付けてくれる様で、始めた頃からみると今では格段の差を感じ喜びで一杯です。 今朝も「私は力だ、力の結晶だ」と命を戴いた喜びを天風先生の教えに縁を戴いたことに感謝しながら「力の誦句」を 元気に唱えている私です。

講義風景

S.E.さん(石川県、男性)

夫婦一緒の夏期修練会 (H21年8月)
昨年、「六十の手習い」で天風会の門をたたきました。建設業を営んでいますが激変する経済状況にひどく戸惑った折、尾身理事長の講演をある講演会でお聞きし、感銘して入会しました。
昨年の夏期修練会に始めて参加し、天風道の奥の深さに感動し、日々仕事に追われていた自分をすごく反省しました。しかし、何事も初めてで無我夢中の第一日目でした。
小生は百年に一度の大恐慌の中、笹舟のような会社を操っております。どうしてこの会社を経営していくべきか眠れない夜が続き大いに悩みましたが、修練会に出て、これからの『人生の術』に気付かされました。そして、経営も大事ですが、家庭も円満でないとこの難局を乗り切れないと思いました。それで、妻も一緒に天風教義をと思いましたが、彼女は冷ややかで修練会から家に帰ると、帰省した娘に「お父さんは宗教のようなことに凝ってお盆にもかかわらず、東京に行ったよ」と胡散臭いものを見るように言われ、その時はさっぱり分かってくれませんでした。諦めていたのですが、アメリカ発の大不況が始まって彼女なりに将来の不安を話すので、「だから天風会でそれを乗り切る力を自分につけるのだよ」と言ったら、しばらく考えて、「一回、話を聞きたい」と言い出したので『潜在能力開発講座』に参加しました。即、感激し彼女は天風会に入会しました。福井賛助会の行修会に出て、予備修練会そして『夏期修練会』に夫婦一緒で参加しました。妻は『真理瞑想行』の講義は涙が出るくらい感動して参加してよかったと話しておりました。小生も二回目で顔見知りも出来て、最初とは違う多くの気づきをさせていただきました。特に、妻と一緒なので帰った宿舎で天風会の事で夫婦の会話が盛り上がるのは格別なものです。今まで共通の話題がなかったのですが、天風会が私たちのこれからの生活の一部として共に話せる話題になってくれると思います。
天風先生が言われていた『どんな事があっても、命あることを喜び、常に幸せを感じて活きていく事』を生きる根本として夫婦で天風教義を実践して、与えられた人生を悔いなく過ごそうと決意でき、今年本部夏期修練会に参加して本当に良かったと思っております。

T.H.さん(富山県、男性)

天風会への入会 (H30年12月)
夜、突然クリニックから電話があり、「血糖値が非常に高いので大きい病院で受診してください」とのことだった。すぐに拠点病院に行き検査をしたところ、数値が240を超え「糖尿病」と告げられた。
血圧の薬も飲んでおり、これ以上薬を飲みたくなかったので、1ヶ月間食事療法とダイエットに挑戦し、数値が標準値まで下がらなかったら薬を飲むことを約束した。その日から一日二食にした結果、ひと月後体重が13キロ落ち、血糖値も正常になり、血圧まで下がったのである。医師に投薬をひと月待ってもらい自分で挑戦しようと思ったのは、家内の日ごろの様子を見ていて、自分も何か挑戦してみたくなったからである。
天風会に入会させてもらってからの家内は日々変わり、消極的だったのにとても積極的になっていった。それを感じたのは、町内会の納涼祭でのことであった。各班から一人カラオケに出ることになっており、班長が私に出てくれないかと相談に来た時に、家内自身が出演すると返事をしたのである。その時私は不在で、後で聞いてみると、誰も出る人がいなくて困っており、どうしても一人出さなくてはいけないのなら、下手な私が出るより自分が出た方が良いと考え、返事をしたとのことであった。そのような時には、私が必ず断る人間であると知っているはずなのに、なぜ断らなかったのかが不思議でもあった。まして以前の家内であれば、人前で歌うなどとても考えられなかったのである。
天風会への入会により明るく笑顔で朗らかに積極的に日常生活を過ごしている家内を目の当たりにし、人生の後半期に足を踏み入れている身ではあっても、私自身も天風先生の教えがどんなものか知りたくなって、天風会の門をたたいた次第である。

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